お暑うございます。
今年の夏も各地で猛暑が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
お盆を過ぎた信州もまだまだ暑い日が続いていますね。
となるとルームエアコンのある環境が本当にありがたく感じます。
電気に頼る生活に慣れすぎてしまうのもどうかと思いつつ、
かといって我慢し過ぎも身体によくないですし、適温で過ごせる工夫をしながら
生活しなくてはと実感する、リフォーム設計担当の高松です、こんにちは。
さて、電気といえば。
前回担当したブログ記事で
「次回は黒部川ツアーについて書きます」などと記しましたが、
その予告通り今回は黒部川へ出かけた先月のお話を少しばかりさせて頂きます。
黒部ダムは詳しい方もいらっしゃると思いますが、関西電力の水力発電用ダムとして
昭和31年に着工され、同38年に完成した巨大なダムです。
今回、このダムから導水して発電がおこなわれている
黒部川第四発電所(通称「くろよん」)を見学する機会があり、
7月某日に行ってまいりました。
黒部ダムまでは立山黒部アルペンルートの電気自動車バスで移動し、
そこから観光コースを外れ、雰囲気満点のトンネルを10キロほどバス移動。
このトンネル区間から先は現時点では一般公開されていません。
インクラインという貨物用ケーブルカーに乗り継いで約450mを一気に降下し、
ようやくたどり着いたその場所が、黒部川第四発電所です。
初めて訪れた発電所は、地下とは思えないほど圧巻の巨大空間でした。
そこには4基の巨大な発電機が設置され、最大出力は33万5000kW。
一般観光ルートではないとはいえ見学コースになっているため
見学者を受け入れるためのスライド解説や展示もしっかり整えられています。
水車が強烈なスピードで回転している様子も見学させてもらいました。
余談ですが平成14年のNHK紅白歌合戦で中島みゆきが「地上の星」を歌ったのは
この画像の場所から少し先に進んだあたり。
よくぞこんな大秘境の、地下数百メートルの地に巨大施設を作り上げたものだと
感心を通り越して感動を覚えてしまいましたが、同じくらいに印象に残ったのは、
発電所の駅から地下トンネルを蓄電池で走るトロッコ列車に乗ったときのこと。
このトンネルは黒四発電所のひとつ前、「黒部川第三発電所」の建設工事の際に
開削されたもので、一部には「高熱隧道」と呼ばれる岩盤温度のとても高い区間があり、
開削当時は最大160度という岩盤温度のため、工事で使用するダイナマイトが
自然発火・暴発して多数の犠牲者が出たそうです。
冬場の雪崩などによる犠牲者もおおぜい出たりするなか
電力を得るための過酷な難工事が続けられたわけですが、
わたしたちの電気に頼る現在の暮らしというものは、
そうした先人たちの想像を絶する困難の上に成り立っていることを
黒部のトンネルを走り抜けるなかで改めて実感しました。
高熱隧道は現在でこそ岩盤温度は40度程度まで下がっているものの、
それでもトロッコで通過する際にはトンネル内の熱さを実感しましたし、
この区間を走行する列車が蓄電池を使っているのは、
ディーゼル機関車だと熱さによって燃料に引火する可能性があるからだそうです。
走行する列車内から高熱隧道区間で撮影しましたが、
ブレブレのため、以下はウィキペディアから画像借用です。
(参照:Wikipedia)
地下深くに設けられた巨大な発電所。
そしてそれらの施設を繋ぎ、運用の生命線となっているトンネルや橋梁。
今なお続く黒部川の発電工事の歴史のなかで、とくに大正から昭和半ばに
かけての工事では、数百人もの尊い人命が事故や災害により失われました。
大町から黒部ダムへ抜ける関電トンネルの破砕帯での困難は
映画「黒部の太陽」でも採り上げられて有名ですが、
高熱地帯の難工事も含め当時の困難や悲惨な状況は
伝え聞くだけでは実感の薄いのが正直なところです。
それでも発電の最前線を訪ねて改めて思ったのは
普段何気なしに使っている電気を生み出すことの如何に大変であるかということ。
電気のある生活は決して当たり前のことではないという事実と、
現在の豊かな社会が築かれるためにどれだけの先人の苦難と犠牲があったかということ。
電気が普通に使える生活を、いま改めてありがたく思います。
仕事のなかで電気に関わる計画はもちろんたくさんありますが、
黒部での体験を通じて、無駄のない効率よい電力計画というものも、
これまで以上にしっかり考えなくてはと、改めて思うようになりました。
そして僕がここであれこれ書いても、黒部のすごさは伝わらないと思います。
ご紹介したコースは関西電力主催の発電所見学ツアーに申し込めば
同じルートを辿ることができるので、お勧めです。
ツアー申込みの抽選倍率は高くて大変なようですが、
行けばきっと感じる何かがあると思いますよ。