こんにちは、設計積算担当の町田です。
地元大町は、いつもより雪が少なめで助かってます。
最近の雪は、松本、塩尻のほうが降りましたね。
さて、今回はずいぶん昔の話です、「思い出話」と言った感じです。
1988年~89年、サンフランシスコのダウンタウンに
居酒屋「村さ来」の店舗をオープンした時の話です。
当時、「白馬おもしろ発信地」にいたのですが、ホテルの半地下に
フランチャイズの「村さ来」を導入していました。
以前おもしろスタッフだったN君は、渡米してサンフランシスコで
日本人相手の観光ガイドをしていましたが、格安の空きテナント物件
の情報を、おもしろのオーナーに流した様です。
その頃、やる事する事すべて大成功の怖い物無し状態のオーナーは
その話に乗ってしまい、サンフランシシコのダウンタウンに
「村さ来全米第1号店」を出す事を決めてしまったのでした。
無謀な計画の内容は、観光ビザ(3ヶ月)で私を渡米させ、
1ヶ月で設計、確認申請、資材調達、次の1ヶ月で改装工事、開店準備、
そしてオープン、残りの1ヶ月は厨房の調理指導、店を軌道に乗せてから
帰国せよと言うものでした。(現地スタッフはガイドのN君のみ)
実際は、渡米して8ヶ月後に「村さ来」開店準備までで、帰国しました。
肉体的、精神的にボロキレ状態で、しばらく静養が必要でした。
この8ヶ月間にどんな苦難があったのか、本1冊分書けるぐらいの
内容がありますが、省略させて頂き、「証拠の写真」を中心に
ご紹介します。
Sutter.st沿いで
Powell.stとMason.st
の間だったと思います。
着手前の写真
1階とB階があり
1階は中国系の小さな
ファストフード店
B階は写真のとおり
地下はかなり広かった
工事中、中央にいるメガネ
の渡辺さんに会えなかったら
完成出来なかったと思います
やはり人の繋がりなくして
何事もならざらんやです。
工事中、大分工事も進み
2ブロック先のN君の
マンションに帰る前の私
現地で平行定規を購入し
フィート、インチ、英語書込みの
図面を作成、現地設計事務所
に確認申請事務のみ依頼した
現地で発注して製作した
村さ来の看板
微妙に違ってます
店舗のファサードは
既存のまま
ショーウィンドウの奥に
待合スペース
1階はテーブル席×2と
小上り席×2
奥に厨房(小)
地下の厨房とは
ダムウェーダーで
やり取り
1階奥側
開店準備中
右手前待合
左手前地下への階段
地下と1階を結ぶ階段
吹抜けには
村さ来の大きい
赤いちょうちん吊下げ
地下
階段下りた所の
ディスプレイスペース
(家具や装飾品は日本から
船便で届いた)
現地ではあまり手に
入らなかった為
地下ブース席
梁材は現地調達
テーブルは私が設計し
大工さんに作って貰い
開店スタッフが塗装した
地下舗道側テーブル席
壁の左側、舗道の下にも
スペースはあったが
確認申請で通らないので
壁で区画した
左小上り、
右囲炉裏テーブル席
奥大黒柱
囲炉裏テーブル席
柱や壁の塗壁は
私や開店スタッフで
施工(タイル目地材にて)
上は帳場、厨房ハッチ
帳場2段梁の下の曲がり
梁は私が取り付けた
地下は天井なしで配管から
スラブまで黒の塗装
小上り席とブース席の
余ったスペースは
井戸スペースの
ディスプレイとした
飾り付作業は私一人で
ほぼ行った
正面ディスプレイは
さい銭箱
左のれん奥は
トイレ
トイレ通路から客席側
左の道標に
女性スタッフに
「村さ来全米第1号店」と
書いてもらった
開店当初は、物珍しさもあってか、それなりだった様である。
1階飾り棚に陳列してあった土の雛人形とか、お客に結構
盗まれてしまった。工事中にも、職人の工具が置引きされる
事件が発生した。(自己防衛をきっちりやらないとダメな国です)
日本から送り込むスタッフの交代の問題や食料品の仕入ルート
の問題等もあり、それほど長く営業せず、撤退となった。
当時は余り良い思い出ではありませんでしたが、
25年も経つと、これも良い思い出の一つになった様です。
長々と失礼しました、では、又。